J.鶴田さん、やすらかに...

 J.鶴田選手の試合をはじめて見たのは、まだ少年だった頃でした。居間においてあったカラーテレビの中で、星のマークの入ったパンツをはいて、大きな大きな馬場さんとタッグを組んでいました。えらく元気な若い選手がでてきたなぁという印象が残っています。もちろん、私はガキんちょだったので、今にしてみるとかなり偉そうな第一印象だと思います。

 ザ・ファンクスが好きだったこともあり、ファンクス道場出身で、アマレス経験者(オリンピック選手であったのは後で知りました。)であった鶴田選手は、当時の私の目には、新鮮に映りました。もちろん、TVによく登場することもあり、G.馬場選手の後は、鶴田時代になっていくのだなぁなどと考えていたのも、今は懐かしい思い出です。

 高校に進学して、毎日友人が買ってくるスポーツ新聞をまわし読みしては、プロレスの話をしていました。ある時、友人が猪木・坂口VSテーズ・ゴッチのVTRを入手してきました。開始早々、テーズのバックドロップが炸裂します。何度も何度も巻き戻しては、そのシーンを見ました。当時のビデオは、レバーを押すたび、ガッチャン、ガッチャンといいながら、動くタイプのものでした。

 いつしか、鶴田選手がルー・テーズ直伝のバックドロップをひっさげて、リングに上がるようになりました。なるほど強烈です。もともと、基本がしっかりしていた鶴田選手のバックドロップは、そのころ流行していた力任せのバックドロップではなく、へそで投げるタイプの反り投げに近いものであり、とても好きでした。先の友人がどちらのタイプが強烈か、試してみよう、と言い出しました。挑戦されては受けないわけにはいきません。おもむろに、押入れから布団を取り出し山にしてからのバックドロップ合戦です。あの時はもちろん自分が好きなタイプが一番効くと、主張し合っていましたが、実はどのタイプでも十分効いており、やはり強烈な技であると再認識していたのが、正直なところです。自宅へ帰る足取りがふらついていたのは、言うまでもありません...

 そのような高校生活にようやく慣れた秋に、私も肝炎にかかり、入院生活を余儀なくされてしまいました。現在も疲れやすい、等の症状が残っています。身体は一度壊すと、完全には元に戻らないことや、健康は何事にも変えがたいものであることを、そのときになってはじめて分かりました。

 社会人になって上京して、実際に試合をちょくちょく見ることができるようになりました。後楽園ホール、横浜文体で試合があるときはかかさず、見に行きました。

 ちょうど天龍選手が全日で試合しているときであり、もちろん、メインイベントは、「J.鶴田 VS 天竜源一郎」です。あの頃の鶴田選手は、油が乗り切った状態で、すばらしいファイトの連続でした。パワー、スピード、技の切れ、そして、あふれんばかりのスタミナ。TVデビュー当時は、「なぜ、そこでアピールする。ほらっ、やられた」と冷めた目でみていた私も、実際に会場ですばらしいファイトを展開する鶴田選手からのアピールには、身体が自然に反応します。もちろん、握りこぶしを高くあげて、「オオーッ!」でした。本当に体中が熱くなるファイトでした。

 試合が終わってからの居酒屋での話題は、「今、日本で誰が一番強い?」でした。鶴田選手は総合力で抜きん出ており、なんといっても底知れぬスタミナを持っているため、「やはり、鶴田だ。」という結論になることが多かったように思います。当時は、身体の構造が違うと言っても、おかしくない外人勢の勢いに、「日本のプロレスが危うい!」という危機感を持っていただけに、「今対抗できるのは鶴田しかいない。鶴田がいれば大丈夫。」 プロレスファンに勇気を与えつづけたファイトでした。

 その後、鶴田選手が身体を壊したというニュースが飛び込んできました。聞けば、「肝臓らしい」というではありませんか。「それはないよー。現役を続けられなくなってしまう。」常に倦怠感を感じている私は思いました。「あのすばらしいファイトはもう見ることはできないのか!真の日本一を決める試合はもう実現しない...」そう思いました。「一日も早く良くなってほしい」 願いは一つでした。

 ある時、鶴田選手が前座に復帰したとのニュースが聞こえてきました。「そうか、激しい試合はもうできないのか...でもリングに戻ってきたのなら、もう安心だな」と思いました。同じく鶴田ファンの同僚と話しました。「前座で試合をする鶴田なんてみたくないという気持ちと、再びリングにあがった鶴田を見たいという気持ちのどちらが強い?」

 というわけで、後楽園ホールへ足を運びました。少し悲しい気持ちもありましたが、リングの上で、本当に楽しそうに試合する鶴田選手を見て、「見にきてよかった。鶴田選手は本当にプロレスが好きなんだなあ。」と思いました。ジャンピング・ニーを決めてのファン・アピール。もちろん、「オオーッ!」です。自分も病気になんて負けてはいられません。また、一つ勇気をもらいました。

 鶴田さんのガッツあふれるファイト、そして生き様は、とてもすばらしいものだったと思います。若くして亡くなられたのは本当に残念ですが、私は、J.鶴田を永遠に忘れません。いや、忘れることができません。いまでもまぶたを閉じれば、星のパンツでアピールしている若かりし頃の鶴田選手の姿が浮かんできます。

 ご冥福をお祈りし、お悔やみの言葉と代えさせていただきます。

高原  和徳


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